今日は、平日の休みでした。
めっぽう秋らしくなってきた今日この頃のボイド地方です。
が、昨晩は蒸し暑く途中でエアコンを付けてしまいました。
さて、
昨日は、わたしの職場である精肉店がテナントとして入っているスーパーがお休み(社員研修)なので公休日の今日と合わせて連休でした♪
が、昨日は日頃の疲れがでたせいか全く何もする気が起きずに宅内でゴロゴロ読書をしておりました。
お陰様ででようやく完読いたしました。500ページを超える大作です!
夏休みの宿題同様に貸し出し期限の今日がせまって慌てて読んだ次第でして…
この巻に興味を持ったのは、西郷隆盛が何故西南の役に参加したのか?という事です。
つまり、動機はなんだったのか?という事。
通説では、元士族達の不満を聞いて心動かされたという事ですが、もちろんそれも動機の一つではあるとは思いますが、それにしても西南の役を起こした先にある着地点は何処だったのか?が知りたかったのです。
西郷軍の思惑としては、薩摩で挙兵し、西郷軍が熊本、小倉の明治政府鎮台軍を撃破したとなれば、「西郷軍強し!」と噂が広がり全国の不平士族の集団が合わせて決起して大きな流れとなり、明治政府と対等に話し合いができるのでは?という事の様でした。
実際、西南の役の前には佐賀の乱(佐賀)、神風連の乱(熊本)、萩の乱(山口)といずれも不平士族が決起していたわけです。(三つとも、鎮圧されて首謀者達は極刑)
西南の役の経過は、素通りすれば良かろう熊本城を気安く攻撃したもんだから籠城されててこずり、その間に明治政府正規軍が北から、南からやって来て窮するわけです。
更に、全国規模の元士族達の反乱もなく、孤軍奮闘する西郷軍は結局、熊本、宮崎、鹿児島へと転戦し、最後は城山で自決へとなったわけですね。
また、西郷隆盛の個人的な動機は、どうやら『死に場所』を求めていたようです。
かつて錦江湾での月照との入水自殺失敗が長年心の奥深くに刻み込まれ、
更に様々なストレスから体調を崩していたことからもう長くは無いと考えていたようです。西郷にとっては西南の役は、渡りに船だったかもしれませんね。
現在ならば、明治政府要人(つまり大久保利通)とホットラインをつないで話し合いも可能だったかもしれませんが、当時はようやく電信が始まったばかりで・・・
結局、西郷と大久保がじっくり腹を割って話せば理解できるはずだったと思いますね。
今の世の中でもやはり疑心暗鬼が一番怖いです。
忖度も良いけれど、意思疎通は大切にね♪
NHK大河ドラマ「西郷どん」はいよいよ明治維新が始まりますんで上記のお話がどのように展開されるかが楽しみです。
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